地球と宇宙の波打ち際で No.1



2020年 11月30日 月曜日 02:46
ルミナリエは、大嫌い。 多くの人達が歪んだ線路を無言で歩いていた。国道43号線も国道2号線も避難しようとする車で動かなかった。その中を救急車や消防車が動けないまま挟まれてた。
3ヶ月以上サイレンとヘリコプターの音が鳴り響いていたのに、あの日々の記憶は無音。夜になると神戸の空が真っ赤に燃え上がってた。

大学の部活帰り、芦屋から崩壊した三ノ宮の最後の姿を見に行こうとバスに乗り込んで、疲れて眠り込んだら4時間半経ってた。アナウンスがあった。 「三宮方面にて、タンクローリー横転の連絡がありました。これ以上進めませんので、誠に申し訳ございませんがお降り願います。料金は不要です」まだ、住吉だった。歩いて帰った。

三宮のレンガの交通ビルの姿は見ることができなかった。
阪急沿いや意味もなく街中を歩いてたら涙が出てきた。悲しいのではなくて、粉塵のせい。解体作業が進んでいた。近くにいた工事現場のおじさんがマスクとゴーグルをくれた。

中央分離帯と歩道をバイクが走っていた。

自転車は役に立たなかった。何度もパンクした。道路に約だいたい10メートル間隔で亀裂が入って盛り上がってたから。
地震発生後すぐ、隣の大きな公園に家族と犬をリュックに入れて懐中電灯を持っていった。液状化しているので小学校に向かった。
関東で震災がとうとう起きて、それが響いてきたものだと信じてた。
父がラジオを持っていて聞いていたらしく、小学校のグラウンドで「神戸が震源地だ」と大きな声で言った。
自衛隊は報道とは違い、すぐに出動していた。伊丹駐屯地。

明るくなってから川岸でぼーっとしている。人が同じように意味もなくたくさんいる。
家に帰る。
食料と水を求めて僕は自転車に乗って街に出る。

コンビニ売り切れ閉店。
市役所前、自衛隊が集まって本部を作っている。
モトクロスのようなバイクに大きな無線機を背負った隊員があちこちに散らばって行く。
中心部に出る。
パンを売っている。ぼったくられるかな?と思う。家族4人だけれど、4個買っていいかと尋ねると構わないと言われ、菓子パンを4つ買った。
自販機倒れてて買えない。
商店回っても飲み物関係なし。
行きつけの本屋無事。タバコを何カートンもくれた。
また家の方向に引き返す。
マンションが燃えている。消防隊、消防車2台。水がもう出ないという。燃えているのを皆で眺める。カーテンが燃え始めてた。
JR前、ビル粉々。
芦屋駅崩壊。
プラットホームが粉々になって無くなっている。
アパートが倒壊している。ぺしゃんこ。
おじいさんがしゃがんで声をかけている。
「生きとるぞ!」と叫ぶ。「お前、手伝ってくれ!」「消防隊が近くにいるから呼んでくる」と僕呼びに行く。
橋の下をくぐる。
おじさんが向こうから歩いてくる。
「ちょっと待て!」と言われる。「はい」と言って立ち止まる。
突然胸倉を掴まれ何度も壁に叩きつけられながら「なんであいつらが死んで、お前なんかが生きてるんやっ!」といわれる。
商店街がぺしゃんこ。皆何もできない。自衛隊もいる。
僕おもむろにタバコを取り出し、火をつけようとする。
自衛隊員にタバコとライターをはたき落とされる。
「ガスが漏れとるかもしれんのやっ!」
また、皆で商店街を眺める。
友達の家をまわる。
オレンジジュースの大きなペットボトルをもらった。
家に帰る。

親には、僕のことだからどこかで救援の手伝いでもして、余震で下敷きになって死んでいると覚悟を決めていた。といわれた。朝出発して帰った頃には日が暮れていた。時間の感覚も失われていた。
夜中、地響きが聞こえる。
自衛隊が隣の大きな公園に基地を設営を始める音だった。
ものすごく安心した。
その公園は、のちに、自衛隊が撤退した後、棺桶を積んだトラックがやってきて、ヘリコプターが離着陸し、運んでいた。
トラックの数を数えていたけれど、途中で、きりがないのでやめた。

一回目のルミナリエは行った。やっぱり音の記憶がない。
友人とバーに入る。僕、無理やり飲まされる。
麦チョコ。
トイレがないらしい。

自衛隊、給水。
川の水をトイレ用に汲む。
エレベーター怖いので使わない。
ポリタンク2つ。15階まで1日何度も往復。
たくさんあるのに、母親、水集めやめられなくなる。

玄関開けっぱなし。地震で閉じ込められないため。
余震のたびに父と窓を開けしばらく階下を見渡す。
火事になったら、逃げられないため。
家族4人とペット。リビングでこたつの中。
ペットの首紐を掴んでる。各自避難用のリュック。スニーカー。
僕避難時のため、ペットを入れるためのリュック。
屋内気温7度。
マンション自家発電。テレビ見れず。衛星テレビ役に立つ。死者数増え続ける。名前が読み上げられる。
知っている名前が出てくる。
ずっと皆寝てない。眠いと感じない。


音が蘇ったのはサイレンの音。
テレビから。
須磨少年A事件。
地下鉄オウムサリン事件。

覚書。

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2018年 05月23日 木曜日 14:43
今日、些細なことで、自分が人を、世界を、ひどく狭い視野ではなく、狭い枠の中に嵌め込んで見ていることに、はたと気がついた。

本当に些細なことで。

世界を、人を、狭い枠の中に嵌め込むことによって、僕は様々な多くの機会と人との出会いや邂逅を逃していた。本当に長いことそうやって生きていた。一体いつ、そうやって生きることになったのだろうか。

でも、それは取りも直さず、自分自身を小さな枠の中に嵌め込み、自分自身の多くの可能性を殺すことにもなっていた。僕は、ずっとそうやって生きてきた。いったい、いつからだろう、どうしてだろう。

きっと、僕は自分で思っていたより、深く傷ついていたんだろう。でも、僕がそうすることによって、周りの人々に対しても世界に対しても傷を与えていたのかもしれない。それは、僕のささやかな復讐だったのかもしれない。僕の世界に対する、僕自身が傷ついていることの示し方だったような気もする。

僕は、そうやって自分を小さな枠にはめ込むことによって、僕自身の心を守っていたような気がする。そうしないことには、生き延びてはこれなかったのだ。

このささやきな気づきが、明日を開いてくれれば、いいなと思う。

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2018年 05月12日 日曜日 14:43
僕は今、喫茶店にいて、この原稿を書いています。特になにか書くことが決まっているわけではないんだけど、書いてみようと思います。

街に出て来たわけだけど、特になにか目的を持ってやって来たわけではありません。ただ、人が多くて賑やかな場所で過ごしてみたかったのです。本を読むつもりだったけれど、全く読めていません。何冊か突っ込んだKindle、川上未映子が村上春樹にインタヴューした「みみずくは黄昏に飛びたつ」、Haruki Murakami “after the quake” 、村上春樹「ねじまき鳥クロニクル第1巻」、カーネギー「道は開ける」を持って来ています。

カーネギーの「道は開ける」は単なる自己啓発本だと思われるかもしれませんが、「人生の中でなんらかの頭打ち」になった人々の記録であり、人生で頭打ちになった僕には良いだろうと、主治医が勧めてくれたのです。

年齢的にもピークを超え、今までの自分のシステムやら自分の成り立ち方、生き方が通じなくなった僕には役にたつかもしれません。
村上春樹は「ダンス・ダンス・ダンス」や「遠い太鼓」を書いた30歳代半ばが中年クライシスだったようです。

僕は遅くて、40歳直前の39歳から42歳にとても痛い、辛い思いをして、そこから立ち直った今44歳にして中年クライシス、頭打ちに直面しています。
自信も自尊心も無くなってしまったようです。今までの自分を誇らしく思うことさえもできません。きっと周りから見たら、まぎれもなく、ただのおじさんに見えることでしょう。

昔のやり方が通じない、今までの自分が通じないのなら新しいことを始めようと、先週からランニングを始めました。なかなか、タバコはやめられないんですが(笑)。

新しい道が開けるといいんだけどね。

綺麗な女の子は、みんなどこへ行った?

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2018年 03月27日 金曜日 14:50
こんにちは。久しぶりの更新になります。いつもいつも、そう言っていますね。要 するにずぼらで気まぐれなだけなんです。
いやいや、それもあるけれど、以前のサ イト「ダンス・ダンス・ダンス」を最後に書いてから、もう13年も経てからの新し い再スタートなのです。あの頃は閲覧してくださる方が どのような方であるかわかっていたし、自分が何を書きたいのかが分かっていましたが、今はどの ような方が読んでくださって、どのような人に向けて書いたらいいのかが分から ないのです。そして、なによりも、自分自身の中に書きたい気持ちがあっても、 それをどのように掘り出していけばいいのかも自分で分かっていないのです。いや、 書きたい気持ちという火種をどのように大きく育てて いけばいいのかが分からない。これが一番大きい。

で、なにを書こうか。

ダンス・ダンス・ダンス とりあえず、僕の初代サイト「ダンス・ダンス・ダンス」へのリンクを張ってみました。僕も少し読んで、自分の軌跡を追ってみよう。こちらも読んでくださると嬉しいです。

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2018年 03月01日 金曜日 20:29
みなさん、こんにちは。前の更新から約一ヶ月です。早いもので、もう3月ですね。僕も、もうそろそろまた一つ歳を重ねます。一年が早いなあ。
3月は弥生といいますが、弥は「ますます」・生は「生きる、生い茂る」という意味だそうです。今日人から教えてもいました。なるほどね。早く暖かくなるといいんだけどね。寒がりだから。

僕は、とあるところで還暦を過ぎた男性と知り合ったのですが、毎日ジャズや古いアメリカンロックの話を延々として、いろいろと教えてもらっています。そして、毎日CDを貸していただいています。古いアメリカンロックは初めてなので、とても新鮮な感じを持ちながら聴いています。明日土曜日はその方の知り合いのジャズ喫茶にふたりで出かける予定です。かなりの枚数のレコードが揃っているらしい。

たまたま1月にメルカリを見ていて安いギター(アコースティック)を見つけたので、購入しました。
ピックとチューナ、そして教則本も購入しました。でも、チューニングしたままでギターは放ったらかしにしたままでした。ところがどっこい、その方と出会って、写真も撮るし音楽もよく聴くし、何よりもギターを弾く方でおまけにいつもライブまでされている。
というわけで、ギターの話もし、なんと良いギターの教則本までプレゼントしてもらいました。話を聞いていると、とてもユニークな人生を歩んできた人でした。先日は和風の玉ねぎ料理を教えてもらい、最近はその料理を作って食べています。

いい人と巡り会えてよかったなあ。それにしても、自分がこれだけ人と話せるとは思ってなかった。

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2018年 1月27日 日曜日 20:29
間違って、一つ記事を消してしまったようです。まあ覚えていないので、大したものじゃなかったのでしょう。
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2018年 9月03日 月曜日 22:48
みなさんは「憎しみ」の感情って抱いたことありますか?
僕はあります。憎しみをメインに、感情についてひとつ気がついたことがあるんです。
今からその話をしてみようと思います。うまく話せるといいのだけれど。

憎しみを抱くことは、それは激しくつらい感情です。そうです、そこがポイントなんです。なぜその激しい憎しみを手放せないか、解消できないか。それは、憎しみを抱いている本人がその憎しみの対象を手放すことを望んでいないからなんじゃないか。
憎しみの相手・対象をもし無きものにしてしまうと、憎しみというものが解消されてしまうと、相手もいない、憎しみの感情を抱く理由も消えてしまう。 つまり、憎しみに限らずなんらかの激しい感情を抱えていたのに、ふとした瞬間に消えている。今までその大きな感情が心の大きな部分を占めていた場所、それは一つの大きな欠落となってしまう。心の大きく欠けた部分になってしまう。名前も形もなくなった見ることも触ることもできない空いた部分。それを人は表現することはできません。ただ、その欠落、欠けた部分自体が部分として心に同化するまでじっと待ち続けなければならない。

人は名前のないものや形のないものより、主張の大きく輪郭もはっきりとしたこころのありかたに馴染みやすいのではないでしょうか。名付けようのない感情にもみくちゃにされるより、名前の付いている感情を持って、そして輪郭のある対象を持って怒りに震えている方が楽なんじゃないでしょうか。

全くの第三者の悪意に対しての憎しみは違いますが、僕らが人を憎む時、今まで大切だった、愛していたものに対する愛情が反転して、憎しみに変わる例が多いのではないでしょうか。そして、そこには未練がある。

僕たちは、漠然とした状況や曖昧な状態に耐えることができず、刺激のあるものを飽くことなく求めているのかもしません。しかし、その名付けようのない感情、輪郭もかたちもないこころ、微妙なこころのグラデーション。そういうものを人生の中で味わうことって大切なものなのかもしれないなあ、と思いました。

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2018年 8月27日 月曜日 21:25
先日ハンガーが足りなくなったのでニトリまで買い物に出かけた。買うものも決まっているし、いつも行っているのでどこの商品棚にあるのかもわかるし、エスカレーターから降りて直行。そこでカーブを曲がる際にハンガーの後ろ側に「バランスボール」が小さな箱に入って陳列されているのがわかった。

そこで何を思ったか、ハンガーを鷲掴みにしたままバランスボールのある方に向きなおりサイズを確かめ、何ら迷うこともせず躊躇もせず箱を脇に抱えレジに。そして無事に購入。

バランスボールを買おうなんて今までに思ったことなんて一度もない。使い方すらしらない。でも、僕は確信に満ち、満足であった。「私は正しい時機に、正しいものを手に入れたのだ」と。

部屋に帰り洗濯を終え、新しいハンガーに吊るし、洗濯物をベランダに干した。そのまま確信に満ちたままバランスボールの箱を開け中身を取り出した。そして、シュポシュポと空気を注入し始める。55cmまで膨らますのにたくさんの汗をかいた。

そして、気がついた。「でかい!こんなの部屋に置いておけない!」

今では、これを書いている間も椅子がわりにバランスボールの上に座っています。
あなたもバランスボールお一ついかがですか?

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2018年 8月26日 日曜日 21:05
以前にホームページをやっていた時は、自分の書くものに自信があった。生き生きと描写されて、直接には書かれなくても、表現したいものが確実にそこに顕れているという感覚があった。そして、そこには余裕があった。ユーモアがあふれていたと思う。
でも、今は違う。
今の僕は、オズの魔法使いのブリキの騎士のように錆びついている。文章をつなげるのだけで必死だ。自分で何を書こうとしているのか把握できていない。以前のように書くべき理由が自然にあるわけじゃない。以前あったのは若さだろうか?この新しいサイトで、「若さ」とか「中年」の話が多いかな。

本読まなくなって、苦しいながらもレコードで音楽流して聴いて、あとは家事を気がついたら少しでもいいからすぐ手をつけるというのを意識してやっています。本読んだり言葉の世界や想像の世界だけで生きてきたので、体を動かす時期にきてるのかなあっておもってます。「考えるんじゃなく動くこと」「言葉にするよりも体を動かすこと」。簡単にいうと身体の感覚を大切にすること。頭でっかちを治すこと。ちょっとそのことに気がつくのが遅れ過ぎた。気がついただけマシかな。

今日はこの辺でおしまい。

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2018年 8月22日 水曜日 20:56
「現実って残酷」ですよね。村上春樹の地震をテーマにした「神の子どもたちはみな踊る」の出だしにドストエフスキーの小説とゴダールの映画のシーンからひとつずつ引用がされてある。そのうちからひとつ。

「リーザ、昨日は一体何があったんだろう?」
「あったことがあったのよ」
「それはひどい。それは残酷だ!」

これはドストエフスキーの「悪霊」(江川卓 訳)から引用されたもの。

人は「誰だってそうなんだ」、「みんなそう思って生きてるんだ」と言うか、だんまりを決めこむかのふたつに分かれると思う。こう言われるとこちらもおとなしく黙っておいたほうがいいと思った。ここ数年僕はだんまりを決め込んできた。その直前にネットの世界で思いっきり話しまくったけどね。鬱陶しかったと思う。

僕の成長(この言い方で良い?)が遅いのか、「こころ」って言うものを長く信じてた。「優しさ」、「思いやり」、「共感」とか信じすぎていた。あと相手の悩み事もまるで我が事のように考えて胃が痛くなったし、実際に自分がかわりに動くことも多かった、それが失敗だと気がつくのに時間がかかりすぎた。

ある人に「君の優しさや、相手への思いやりは、ただの君のこころのマスターベーションや」と言われてじわじわ気がつくことになった。

人々は、僕の井戸水の蛇口を思いっきりひねり、好きなだけ水を貪り飲んで、そのあと蛇口を閉めもせずに去っていった。彼らが去ったあと蛇口は開きすぎたおかげで壊れて閉まらなくなってしまっていた。そのまま水脈は枯渇してしまった。自分が飲むための水も残されていなかった。僕がこの歳まで人生をかけて掘り続けてきた井戸は枯れ果て、死んだ。この年齢になって、新しい井戸を掘らなくてはならない。でも、喉が渇いている。

世の中にはもともと潤沢な水の井戸があり自分だけで満足できる人もいるし、それなりの井戸を掘り、なおかつ人にも少しは水を分け与える人もいる。お互いの水を味わいながら楽しみながら生きていくことのできるセンスのいい人もいる。そして何年も井戸を掘って奪われる人もいる。世の中はそういう人たちに対して冷たい。彼らはそういう人々に構ってる暇なんてないんだろう。

そして、彼らに対して「みんな苦労してるんだ」つらい思いを口にしないだけで、みんなそう思ってるんだ」と言うか、相手にしない。賢いのだ。日本は西洋の思想と個人主義を取り入れた。でも西洋のように個人主義でのコミュニケーションの取り方のルール、コミットメント、関わりのルールはできていない。そこは日本的に曖昧にされている。日本では日本的部分と西洋的部分をうまく使い分けないと痛い目にあう。議論やコミュニケーションを行いながら、口にしてはならないことがある。下手をすると「空気が読めない」で片付けられる。そこまで難しいこと言わなくても「変」で終わることになる。

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2018年 8月20日 月曜日 23:30
こんばんは。相変わらず本を読むことが出来ない、ねこ@かえるです。
元気にしてるか?
はい、元気にしています。

ここ最近、随分と日が暮れてから涼しくなりました。子供の時はもっと夏って長かったような気がするんだけど、最近は「夏ってもう終わり?」と感じるようになってきました。夏だけではなく、もっと季節の一つ一つが長くて、くっきりとはっきりとしていたような気がします。これは歳を重ねたことによる変化でしょうか。みなさんはどうですか?

本は読めないままですが、音楽を聴くことはできるようにもどりました。最近は、perfumeや宇多田ヒカルを購入し聴いています。多分、このperfumeと宇多田ヒカルはとても聴きやすいんじゃないかな。ヘビーローテションです。そして間に、少しJazzやらクラシックを挟んでいます。

小説、物語、そして音楽にしても、もうそれらの世界の中に没入することもできなくなり、こころが震えることもなくなりました。ここ数年、特にこの4、5年の間にあったものごとで、僕がものすごく変わってしまったからかもしれない。周りからは気がつかないかもしれない。色々な物事、人々に、そして他のなによりも自分自身、自分のこころ、言葉に失望した。どれだけ深い思いを持っていようが、現実は「はい、ご覧のとおり」。現実は現実、見たまんま。現実は現実であって現実以上でも以下でもない。不思議のアリスのうさぎが持っていたこころという名の時計はただただ重いだけ。ただの重い時計。そんなの持ってたってなんの役にも立たない。

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2018年 8月15日 水曜日 22:00
僕の趣味といえば、「本を読むこと」くらいしかありません。

高校時代部活をやめて何もすることがなくなった時、どうしたものかなあと思った時に、「小学生のお小遣いがあれば、文庫本を一冊買えるんやぞ」と小学生から高校までお世話になった学習塾の先生の言葉を思い出して本屋に行ったのがきっかけの一つです。
本を読むのと、枝豆を食べながらクラシック音楽を聴くという趣味を持った方でした。話がめっぽううまく、僕は授業中に何度笑い転げたことか。国語の授業も日本文学の文庫本を小学3年生から読ませるというものでした。

大学時代にも塾に顔を合わせに行きました。それから二人でミスタードーナッツに行き「お前何読んどるんや」と本の話をよくしました。
「お前はいろんな本をよう読んどるなあ、かなわんなあ」と言われたので、上に書いた通り「先生のおかげですよ」というと「いろんな奴が塾来たけど、お前みたいにいっつもいいところを奪って、塾に来る機会を目一杯に利用しよるやつはおらんかった。なんでもいいもんは奪うな」と嬉しくも褒めてもらいまいした。

子供向けの学習塾をたたんだ後、大人向けの読書塾を神戸でひらいていて、「なあ、お前そこで授業やってくれんか?みんな喜ぶと思うねん。本の紹介だけではお前の話は終わらんやろ、勉強になると思うねん」と誘われましたが、僕は系統だった読書もしていないし、当時持病があったので断りました。

僕も自分でよく本を読むという自負があったんですが、ここ最近になってネット上で僕なんかと比べ物にならないほど熱心に様々な本を精力的に、そして静かに熱く読んでいる人が多いことに気がつきました。とてもじゃないけどかなわないと思っているのです。文章も小説も一人静かに書いている方もいる。

今、僕は全然本を読んでいません。今、本に対する興味が全くないのです。一行たりとも読むことも出来ないでいます。それと時を同じくして、音楽(ものすごく限られてる)も聴くことができなくなってしまいました。僕の趣味が消え失せてしまったんです。なんで、こんなことになったのか自分でもわかりません。最後に読んだのは文藝春秋に掲載された村上春樹さんの最新短編の3つでした。

いま、もっと外に飛び出して外の世界と関わり外の人たちと交流する時期が来ているのかもしれない、と考えるようにしています。でも、長い間ずっと一人で本だけを読んできた僕にとって、それはやったことがないことで、とても難しいものになるだろうなと思っています。できたら、外の広い世界へと、様々な人に会えるように応援してくださると、僕としてはとても嬉しいです。

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2018年 8月13日 月曜日 23:21
こんばんは。土曜日から今日まで実家に帰省していました。わずか2泊3日の帰省でしたが。それでも帰省は帰省、たとえ隣町であったとしてもね。
今住んでる部屋は引っ越してきて4年で、帰ってきても「ほっとできる場所」にはなってない。実家も実家で出てきたので帰省しても、これまたほっとできる場所ではなくなってしまっているんです。自分のいるべき場所ではないんです。なんだか放浪とまではいかないにしても、どこ行っても異邦人って感じです。
言い過ぎかな?
一人暮らしもしんどい、実家帰ってものんびりできない。宙ぶらりんです。

自分の生活の流れとかリズムを作り出すって難しいですね。全く何もないところから作り出さないといけない。「作ろう」と肩に力が入ると、これまたキツイんです。 僕は40歳手前で初めての一人暮らしだったから、手こずるのかな。
もっと大学時代とか若いうちに初めておけば、周りも同じような奴らがいて、おまけに若さのパワーでやっていけてたんじゃないかと、これまた想像するのです。
なんかドキドキするようなことも待ってたかもしれないってこれまた想像しちゃいます。実際にはそんなことはないものなのでしょうか、ないものねだり?ふふふ。

中年の危機 (mid-life-crisis)、思秋期と一人暮らしが僕の場合重なって、この4年間は本当に大変だった。
今、やっと少し抜けつつある感じがしているところです。あのユングの言った「人生の午後3時」です。もう太陽はどんなに努力しても、中空高く天頂に向けて上らない、後は沈んでゆくというあれです。
心理療法家の河合隼雄先生と小説家の村上春樹も「こころの新鉱脈を掘り当てないといけない」、「新しい水脈を掘削しなければならない」と言った時期です。

「ねじまき鳥クロニクル」では主人公が枯れた井戸の底に潜り、その間日常生活を孤独に一人で過ごしたあれです。
ただただ、毎日毎日日常生活を送り、井戸に潜る。無力さの前に立ち続ける。そして様々な人が他の普通の人に話してもわからないであろう話を主人公にし、主人公は長い時間をかけて聴き続けることになります。それらの話は常人では理解できない深い魂に到達するほどの傷の話です。
主人公はなぜそのような話を自分を選んで人々は語るんだろうと訝しみます。それは頭や理屈では理解できない話ばかりです。しかしそれは話し手が負った深い傷と同じ深みを持った傷を主人公が持っているからなのです。主人公は妻であるクミコを圧倒的暴力をもって闇の世界へと連れ去られたからなんです。
主人公は深く傷ついています。圧倒的な暴力の前にさらされます。主人公に話を打ち明けた人々はそのような暴力の前にさらされ、話したとしても人に理解されないであろう体験を負った人々です。しかし主人公も彼らも圧倒的な暴力の目に無力に立たされ敗れようが立ち続ける人々です。

このサイトの題名の「カティーサークの空き箱」(臨時サイト名)は、自らの体験を唯一主人公だけに話した、峻烈な体験をし悪の前に敗れながらもずっと立ち続ける間宮中尉という元兵士を結びつけたものです。

確かに彼女は彼女なりに小さな世界で、ある種の完璧さを打ちたてようと 努力しているように見受けられた。 そしてそういった努力が並大抵のものではないことも鼠は承知していた。

『1973年のピンボール』 村上春樹著 P69(文庫)より引用

ここまで書くのに、Bill Evans "Waltze For Debby"とMiles Davis "Kind Of Blue"を聴いた。
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2018年 7月24日 火曜日 23:21

過去に書いた文章を再掲します。

僕が長い大学生活を送っている頃、父が外を見ていて「隼が飛んでいる!」と言って、「そんなわけない」と僕は応えた。
父は望遠鏡を覗いて写真を撮って、見せてくれた。
隼は、断崖絶壁のような場所に巣を作る。この高層マンション群の鉄筋の隙間にどうやら生息しているみたいで、そういう写真だった。

そして、昨日と今日僕は鳶をずっと小さくしたような鳥が2羽、変わった鳴き声で飛んでいるのをみた。
スズメや鳩やカラスしか見ない町の空に。 やっぱり、隼だと思う。

僕がこの街ができる前に、許可をもらい家族みんなでヘルメットをかぶって、建築業者がマンションを建てているのを眺めみんなで写真を撮った。僕はまだ3歳。

4歳になり自分の家族が住むマンションができてすぐ引っ越してきた。
高層建築群だけしかなく、周りは全て造成地だった。
そんな造成地の中を家族で歩いて、写真をやっぱり父が撮り、とにかく意味もなく3人で散歩した。

空を見上げれば鳶が輪を描きながら青い空を飛んでいた。
高度成長期のまっただかの中、その未来都市と呼ばれる最先端の高層建築物に囲まれているのに、僕の記憶の中でとてものどかな映像として残っている。

そんな記憶は、自分自身と周りの世界と人が等しく、世界と言うか宇宙と溶け込んでいてタナトリー、調和して均衡している。

簡単に言ったらいい。つまり、それは、僕にとっての「幸せの原風景」のひとつなのだ。

「原風景」(「原風景」は、幸せだけとは限らない)は、幼年時代だけではなく、人生における何らかの重要な時に作られると思う。
例えば、思春期、青年期、青春、初恋、失恋などなど。

原風景、それは人に意味を見出させない。意味を拒む。
ただのなんでもない時間なのだ。

例えば、好きな女の子と遠くから流されてきた漂白された流木に2人で座り海と水平線を眺めながら、話している風景みたいなもの。
後になって思い出しても、なにを話していたのか思い出せない。とてもなんでもない、とりとめのない話だったのだろう。

そして、僕(もしくは、あなた、ひと)は、それがどんなに貴重なものだったのかを知って、愕然とする。
「もう一度、あの様な風景に溶け込むようなことが、残りの人生に起こるのか」、と。

そんなことを思いながらの朝の散歩でした。

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2018年7月23日 月曜日 22:00
2006年に前のダンス・ダンス・ダンスというHPを閉鎖して以来まともに文章を書いてこなかった。

12年間と言うとずいぶんと長い年月だ。この12年間という時間の中で、本当に様々なことがあった。村上春樹さん風に言ってみるなら、世界のありとあらゆる現実の層をくぐり抜けてきたといっても言い過ぎじゃないかもしれない。
ひどいことには一つの層だと思っていたら、そのひとつの層の中にもいくつもの層があったり、無事通り抜けたと思ってた層を、再び死ぬ様な思いをしてなんどもなんどもくぐり抜けなくてはいけなかったことだ。

自殺を考えたことは一度もないけど、このまま死んでしまうんじゃないかと思う時期が終わることなく続いた。生きる気も死ぬ気も起きなかった。倒れても起き上がる気力もないままつっぷしたままの日々。時間の観念が無くなり、永遠のように測ることのできない時間が続いた。やっと立ち上がり少しずつ歩きはじめては、また足元から崩れおちるということを繰り返しながらここまできた。

今、僕は43才だ。この年になって(遅いかもしれないけど)世界には横にも豊かな広がりがあり、上を見ても果てることなき高さがあり、下を見れば深く深く暗い世界がいくつもの層をなしていることを知った。

一番僕を深く傷つけたのは、その横の世界の広がりというグラデーション、上へと向かう高さといくつもの層を為している地下の世界という豊かさを探究するだけの能力を、僕がもう持ち合わせていないという事実だった。

僕は僕でしかない、現実は現実でしかない。他の誰かになることもできない。受け入れるしかない。どれだけ努力しても向上心を持ったところでも、結局は僕は僕でしかないということに気がついた。

Mid-Life-Crisis、中年の危機。ユングの言う「人生の午後3時」。どれだけ頑張っても、午後3時の太陽はそのピークである真昼の高さに戻ることはない。現実をただただきちんと見ればそれくらい分かる。痛いほど分かる。日はもう昇ることはない。ただただ高度を下げ、ぼーっとしてる間 にどんどん傾き沈んでいき、周りは暗くなっていく。

そのことに気がついた後にやってきもの。それは、僕が今まで持ってきた考えや気持ちを失っているというのに、新しい生き方や新しいこころを持たないままだというのに、何も持たないままにこのまま先に歩まなくてはならないという事実だった。

新しいものを手に入れようと思ったら、今まで持っていた抱えていたものを手放さなくてはならないんだ。
でも、新しいものが手に入るまでは、自分のうちに底なしの欠落を抱える痛みに耐えなければいけない。

この文章は夜の神戸のマクドナルドで練習代わりで書いたものです。やっぱり文章変わってるように自分では思う。硬くなったなあって。ほぐしていければと思います。
掲載するつもりはなかったんだけど、間違えて一旦アップしてしまったので、潔く残しておこうと思います。これから、よろしくお願いします

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