地球と宇宙の波打ち際で No.2
2025年7月30日 水曜日
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昨日まで手術のために入院していた。23日に入院して24日に手術だった。脳の電極に関わる手術だったので、いつもとは違って脳神経外科の病棟に入院していた。脳梗塞や脳腫瘍などの方がメインなので、症状の重い方が多い。簡単にいうと体が不自由な人たちだ。ベッドが足りないということで「明日退院してほしい」と言われたけれど、もう限界だった僕は「今日ではダメですか?」と答えた。夕方遅くだったにも関わらず「いいですよ、事務などの手続きで時間がかかってもいいのなら」ということで退院させてもらった。結局8日間の入院生活だった。でも、そんな短い入院期間でも我慢の限界を超えていた。「もう、2度と入院生活はごめんだ」と思った。 今回の手術では形成外科医とメーカーの方同伴でのものだった。散髪屋でケーブルの上の皮膚を切り取られて穴が開いていたのだ。銅線をずらす作業を脳神経外科医、穴の空いた箇所の皮膚を切り取り周りの皮膚を引き寄せてつなぐ作業を形成外科医が担当した。脳の手術の時は局所麻酔だったのだけど、今回は侵襲性が高く局所麻酔では痛みが強すぎるということで、全身麻酔で行われた。 本当に消耗し切った手術と入院だった。痛みがすごかった。結局1年間の間に4回手術をしたことになる。今、本当に正直に言えば何も考えられないほど参っている。4月頃から参っていたし、疲労感が抜けない。でも、どうにか耐え抜いて(そうするしかない)、今の状況を抜けようと思ってる。そのあと僕がどうなっているのかは分からないけれど。なにも変わってないのかも知れない。 |
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2025年5月1日 木曜日
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・今は「騎士団長殺し」で免色渉がよく聴いていたイタリアン弦楽四重楽奏団の「乙女の死」のレコードじゃなくてCDを聴きながら書いてる。 ・先日から就労に通い始めた。猫が4匹いて、僕の活動する階にはそのうちの2匹がいる。ミニチュアダックスのミニーを飼ったことがあるけれど、猫と生活空間を共にするのは初めてだ。犬と猫では全然性格が違う。こんなにも違うなんて想像もしていなかった。びっくりした。 ・なかなか雰囲気のいいところ、というよりはそこよりいいところはないと思ってそこに通うことに決めた。昨日は経営者の方が来てて一緒にタバコを吸いながらいろんな話をすることができた。さまざまなビジネスを手掛けているとは聞いていたけど、実際に会って「ああ、優れたビジネスを幅広く展開できるのはこういう人なんだあ」と思った。カジュアルで気さくな方で、こういう福祉関係でも他の事業所とは全然違う雰囲気と活動を思いつくんだな、職場の人の雰囲気も他のところと全然違う、柔らかい。 |
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2025年1月18日 土曜日
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・「君の脳は女性っぽいところが大きい、でもそれは悪いことやないんやで、むしろそれはいいことなんやで」(主治医) 「白洲正子さんの『両性具有の美』みたいなものですか?」(僕) 「そうや、そいうところを君は大切にしていきなさい」(主治医) ・「君はこころの人やなあ」(主治医) ・「君には誰かに話したいことがたくさんあるんやろ?」(主治医) ・「偶然ですね、彼からの電話ですよ。彼って中井久夫先生ですよ。初回の診察で中井久夫先生の話をしていて電話がかかってくるなんて、すごい偶然ですね」(2代目主治医) ・「彼(中井久夫先生)の本をみんな精神科医は読んでるんですけど、プロの精神科医でも全然理解できていないんですよ、ねこ@かえるさんは僕と話ができるくらい彼の言いたいことを深く理解していますよ」(2代目主治医) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・「あなたはこころをいじりすぎたんですよ」(カウンセラー) ・「あなたはこれから、考えることより感じることを大切にしていきなさい」(カウンセラー) ・「あなたはもともと感覚の人じゃないんですよ、むしろ劣っていたんですよ。でもなぜかあなたはどうやってかはわからないけれど、感覚タイプの人になってるんですよ、それも非常に優れて、鋭い感覚なんです。他の人と全然違うタイプの感覚を持っていらっしゃるんです。本当に不思議な人ですね。だから、あなたはその感覚を大切にして生きていきなさい。」(カウンセラー) ・「あなたは他の人なら、もう死にたいとか苦しいとか泣き出すなあ、と思うような話になってきたなあ、と思っても気がついたら思わずこっちがゲラゲラ笑ってしまう話にになってるんです、変わってますね」(カウンセラー) ・「あなたの記憶はまるで映画を見ているような感じがするんです、映像が浮かぶんですよ。本の話を聞いていてもよくそこまで記憶しているなあ、と思うんですが全部あなたは映画を作るように記憶してるんですね」(カウンセラー) ・「あたしは中井久夫先生と一緒に仕事してきたし、一緒に翻訳もしたし、よく話したんですが、あなたの中井久夫先生の本の解釈を聞くと、『ああ、そうか中井久夫先生はあそこで本当はこういうことを言いたかったんだ』と気がつくんです。河合隼雄先生の本の話を聞いていてもそうです、『ああ、河合隼雄先生はそういうことを伝えたかったんで』ってね」(カウンセラー) ・「あなたは村上春樹さんの本の話をよくするんですが、気がつくといつも『ねじまき鳥クロニクル』に話が行き着くんですよ。一度ねじまき鳥クロニクルについて文章にまとめてみなさい」(カウンセラー) ・「前から言いたかったんだけど、ねこ@かえるさんと話していると村上龍の『コインロッカーズ・ベイビー』の主人公の『キク』を思い出すんですよ。読んだことありますか」(初代カウンセラー) ・「6年カウンセリングを続けてきて今回で最後だから聞いていいですか?君は恋愛をしないんですか?君の年代なら女性の話とか恋愛の話が必ず出てくるんですが、君は一度も異性の話も恋愛の話もしなかったですね」(初代カウンセラー) ・「君からは色々な本を教えてもらって、どれも面白かったし興味深かった。僕からも一冊紹介してもいいかな?『秘密のシンメトリー』っていう本だけど、必ず読んでね。ユングとフロイトとある女性の三角関係の本だよ」 ・「もうこれでお別れだね。その前にいつものように二人でタバコを吸おうよ。それから僕はこっちの出口から出るから、君は君の出口の方に歩いていきなさい、振り返っちゃダメだよ。 あと君に最後に覚えておいてもらいたいことがあるんだ。よく覚えておいてね。僕のように42歳になっても結婚もせず、孤独な男がいるってことをね」(初代カウンセラー) ・「じゃあ、さようなら。元気でね」(初代カウンセラー) |
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2024年9月4日 水曜日
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「僕の小説を避難所として読んでもらえるとうれしい」というようなことを村上春樹がどこかで言っていた。たぶんX(ツイッター)でフォローしている村上春樹の言葉を集めたbotのアカウントで流れてきたのだと記憶している。
実際に今、僕は彼の書いた「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んでいる。どうしてその中編小説を彼の膨大な作品の中から選んだのかは自分でもわからないのだけれど。 実に3年以上、僕は本を一冊も読むことができない時期を過ごした。脳の病気のために首が勝手に動き本も他の物事全ても正面を向いて見ることできなかったのだ。それは麻酔を必要としそれも効かないほどの激しい痛みを伴うものだった。手術前の最後の1ヶ月の寝たきり状態をのぞいてそのような時期をどのようにやり過ごしていたのか、今となっては思い出すことができない。 それはコロナ禍の時期とも重なる。発病のほんの少し前までは天災とも人災とも言えるその期間、すべての店舗がシャッターを下ろす夜の8時まで街のカフェに出て本を読んで過ごしていた。なんの本を読んでいたのかは思い出せない。 なにせ本であれば何冊もとりあえずはいつも僕のリュックの中には入っているから。非常に静かな音のない時間だったと今思い出して気がついた。アイスコーヒーを大きなグラスで注文し、シャッターが閉まる時間まで本を読んでいた。 今年の7月、半年の間をあけて二度行った脳の手術(そして脳に埋め込まれた電極の電流の調節)のあと、僕は病院を抜け出し(家は病院から歩いて15分くらいの距離だ)、本を何冊もリュックに詰め込んで病棟に持って帰り、貪り読んだ。 退院した後は「海辺のカフカ」をぶっ続けで徹夜で読み、川上未映子の彼へのインタビューを読み、彼の友人でもあり翻訳の先生でもある柴田元幸によると「これは人生の生き方を書いた本だ」と言っていた(僕は何度も読んだことがあるけれど、そうは感じなかった。読後に柴田元幸が言っていたことは本当だったと感じた)「職業としての小説家」をかなり熱心に集中して読んだ。 同じ本を何度も読み返す癖があるうえに積読本は数え切れないほどあるから、その後は適当に本棚から選んだ本を読んで過ごした。 そして初めに書いたように、「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」を今読んでいる。避難所として。 避難所?僕は何から身を避けているのだろう? 彼はまた「自分自身を喪失し傷ついている人々を目撃し、彼らのことを思いながら書いています」ということも書いていた。30代の終わりから遅い一人暮らしを始め、40代に入って少しした時に自分が非常に年老いたことに気がついた。唐突に。 そして、それは少しずつ外見からこころの奥深くまで侵し始めた。49歳の今となっては自分の年齢をどのように社会の中でも自分自身の中でも落とし所を見つけたらいいのかわからなくなった。前には満ちあふれていた根拠のない自信もコミュニケーション能力もユーモアも失われてしまっていた。水が砂に吸い込まれてしまったように。それらは自分を内側から支えるものであると同時に、外部に対しては鎧のような役目を果たしていたのだと失ってから分かった。 それらを失ってしまった今の僕は、外部に対して晒され、無防備なのだ。 そう、避難所が必要だ。身を隠すための場所が。 でも、僕は同時に読書だけの家にこもる日々に飽き飽きし、外の世界と人間関係の中へと足を踏み出している。少なくとも周りからは僕が自分自身を失い、傷ついているようには見えないだろう。 僕は空っぽの自分を持ち、傷を感じずに過ごしている。 どこに向かっているにせよ、僕が目を上げて進めばそれが前に進むことを意味している。 だから、僕は歩くことをやめない。どこかに身を隠すと同時に僕は世界と人の前に現れることをやめない。 他人からどのように思われ、見られていようとも。 いつだって、そうやって生きてきたのだから。 |
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2024年7月13日 土曜日
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MacのMagic Keyboardがマルチ接続じゃないことに今頃気がついた。不便だ。
約3ヶ月の入院を終えて帰ってきてから約1週間弱、生活にも慣れてきた。慣れるまでが大変っだった。とにかく読書した。そういえば、音楽は全くといっていいほど聴いてこなかった。
胃瘻から栄養剤を入れる生活にも慣れてきた。
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2024年6月27日 木曜日
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20代に書いていたホームページを再開するとTwitterでずっと言っていたけど、全部「中年クライシス」に関する話題ばかりで自分でも鬱陶しくて、続くことはなかった。 以前は自分でHTMLを打って書いていたけれど、今回は「はてなブログ」と「note」の両方に同じものを載せようと今のところは思ってる。どちらのサービスが自分に向いているのか分からないから。 どんなことを書いていくのかは自分でもわかってないんだけど、最低限自分で書いていて前のように鬱陶しいものでなくて、まず自分が楽しければいいんじゃないかな。 この一年の間に、頭(つまり脳)の手術を2回受けた。今週には、胃に内視鏡を突っ込んで胃瘻(いろう)を作る手術を受けた。今まで自分が人生で手術を受けるなんて考えてもいなかった。でも、とりあえず2回大きな手術を受けたわけで、先日も受けた。 2018年からは災厄の連続だった。そして、ピークに突入したのは2021年、それは引っ越した年でもあった。厄介な大家に当たってしまったのだ。面倒くさいから詳しいことは書かないけど。まだ、家具を新しく購入し組み立てたばかり、他の家具もとりあえず部屋に並べた段階でその病は急に悪化し固定してしまったので、いまだに部屋の中は荷解きした荷物が散乱したままになっている。かろうじて、本とCDだけが収まっている。そんなまま、この2024年まで3年間過ごしてきて、自炊も一度もしていない。自炊を一度もしたことのない部屋だと、自分の家のようには感じられないものですね。 今は、とにかく早く退院して家に戻って、少しずつでも部屋を整えていきたいと思っています。そして、遅まきながら新しい生活を始めたいです。 良き新居となりますように! |
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